「父親として生きる」


「父親として生きる」

聖書は、私たちに神様のことを「父なる神=父のような神」と語っています。
でも父なる神と言われると却って分からなくなってしまう場合があるようです。
なぜならこの地上での父親像は、残念ながら完全ではなく、逆に悪いイメージの場合もあるからです。

次の文章は、最近いただいて読み始めた本からの抜粋です。

子どもは父親に正しさの象徴であることを望んでいる。
子どもは父親が愛情を注いでくれないことよりも、矛盾したことを平気で行うことに深く傷つく。
たとえば父親の女性関係が露呈したとき、特に息子は母親を愛していない父を憎むのではなく、母親と家族を裏切った不正行為に腹を立てる。
子どもが父親に深く傷つくのは「愛が足りない」からではなく、「不誠実」だからである。
子どもは自分が過ちを犯したとき、「おまえは間違ったことをした」と責められることで父の愛を確かめる。
                                                              (豊田信行著「父となる旅路」より)

子供の成長は早いものです。そして子供と向かい合う時間は、それほど長くはありません。
この文章を読みながら、私は父親としてどうだろうかと考えさせられました。

2017年04月13日