皆さん、梅屋町の由来ってご存知でしょうか。
江戸時代に、能楽の鳴り物師、梅屋太郎右衛門が、家康公に招かれ浜松から移り、能の相手となり、現在の梅屋町の一帯の土地を与えられたところから始まったそうです。
その後、梅屋太郎右衛門は、この場所で旅籠屋「梅屋」を経営しました。でもそれだけでなくオランダとの貿易も行い、それが成功し財を成しました。
しかし良い時ばかりではありません。慶安4年に幕府転覆を企んだ由井正雪の乱(慶安事件)の際に、正雪が当旅館に泊まっていた為、謀反人を泊めた罪で旅籠「梅屋」はお取りつぶし、一家は、離散となってしまいました。
でもその後、末裔の者が三味線の名手となり、初代梅屋勘兵衛を名乗り活躍します。以降の静岡の鳴り物はこの梅屋系統で占められ、ほとんどの芸者が門下生だったと言われているそうです。
そういえば、ここに引っ越してきたばかりの頃、隣のアパートには三味線を弾くおばあちゃんがおられました。それもこの名残でしょうか。
先日、市の建築指導課の方々が来られ、耐震補強についてお話してくださった時に梅屋町教会に求められるものとして、「梅屋町に根を張った信仰の心」が大切では、言われました。
今後の私たちの活動にどのように関係していくかは分かりませんが、この町の由来を知る必要もあるかもと思わされました。